大判例

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最高裁判所第一小法廷 平成2年(行ツ)191号 判決

横浜市緑区青葉台一丁目一八番一三号

上告人

佐々木信義

右訴訟代理人弁護士

山下英樹

横浜市緑区市ケ尾町二二-三

被上告人

緑税務署長 榑林良直

右指定代理人

下田隆夫

右当事者間の東京高等裁判所平成二年(行コ)第五一号更正処分等取消請求事件について、同裁判所が平成二年八月八日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立てがあった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人山下英樹の上告理由第一について

所得税法二三条二項の規定が憲法一四条一項、二九条に違反するものでなく、また、右所得税法の規定を本件ワラント債の利息に係る所得に適用しても、右憲法条項に違反するものでないことは、当裁判所大法廷判決(昭和二八年(オ)大六一六号同三〇年三月二三日判決・民集九巻三号三三六頁、昭和五五年(行ツ)第一五号六〇年三月二七日判決・民集三九巻二号二四七頁)の趣旨に徴して明らかである。論旨は、採用することができない。

同第二について

所論の点に関する原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。

よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 大内恒夫 裁判官 四ツ谷巌 裁判官 大堀誠一 裁判官 橋元四郎平 裁判官 味村治)

(平成二年(行ツ)第一九一号 上告人 佐々木信義)

上告代理人山下英樹の上告理由

原判決には、次のとおり、憲法違背、及び判決に影響を及ぼすことの明らかな法令の違背があるから、破棄されるべきである。

第一 憲法違背について

1 所得税制においては、一般論として、「納税者が取得した経済的価値のうち、原資の維持に必要な部分は、所得を構成しない。」(金子宏著「租税法(第二版)」(弘文堂)一五九頁)との大原則が存在するとされている。これは、「制度的には必要経費の控除、譲渡資産の取得原価の控除等の問題として現われるが、これらは資本主義的拡大再生産を保障するために必要な制度」(金子・同)と意義づけられている。

2 ところで、わが国の現行の所得税法は、所得を一〇種類に区分しているが、このうち利子所得を除く他の九種類の所得については、その所得金額を算定するにあたり、配当所得については「配当所得を生ずべき元本を取得するために要した負債の利子-二四条二項」、不動産所得については「必要経費-二六条二項」、事業所得については「必要経費-二七条二項」、給与所得については「給与所得控除額-二八条二項」、退職所得については「退職所得控除額-三〇条二項」、山林所得については「必要経費-三二条三項」、譲渡所得については「当該所得の基因となった資産の取得費及びその資産の譲渡に要した費用-三三条三項」、一時所得については「その収入を得るために支出した金額-三四条二項」、雑所得については「必要経費-三五条二項」を、それぞれ控除すべき旨を定めている。これらの控除部分は、名称こそ様々であるが、また実額もしくは概算(給与所得、退職所得)の別はあるが、いずれもその実質において右の「原資の維持に必要な部分」に該当するもので、右の大原則が立法に当然の如く反映されているのである。

3 しかるに、唯一、利子所得についてだけは、同様の規定が欠如している。もとより、税法は立法府の総合的な政策判断が必要とされる法分野であることは上告人も否定するものではない。したがって、所得をいかに分類するか、その各分類において右の「原資の維持に必要な部分」を具体的にいかなる概念で抽出し具体的制度として反映させるか、等々の技術的事項の処理が、基本的に立法府の裁量に任ねられることはある程度やむを得ないことである。そしてその結果として、右の「原資の維持に必要な部分」の範囲の広狭が実質上ある程度左右されるのも、同様にやむを得ないことである。しかしながら、本件で問題なのは、利子所得にそもそもこの「原資の維持に必要な部分」の控除に該当する規定が完全に欠落しているということである。

4 利子所得においても、「原資の維持に必要な部分」は存在する。ただし、上告人は、具体的事例において原資の維持と関係のある支出部分がすべて原資の維持に「必要な部分」として控除されるべきであると主張するものではない。たとえば、仮に、最も典型的な利子所得である預金の確定利子を得るために、その預金原資を確定利息付の借入金でまかなった場合を想定してみると、この場合でも、借入金の利息の支払は所得原資の維持と因果関係があることに違いないであろうが、借入利息の方が高利であるとき(経済の原則からすればこれが通常であろう。)は、別の主観的目的や事情がなければ合理的に説明できず、逆に低利であるときはそのこと自体に特殊な事情があると考えられ、いずれにしても所得獲得の行動類型としては、全体として合理性・一般性のきわめて薄いものである。したがって、このような場合を「原資の維持に必要な部分」と評価しないとしても、必ずしも著しく不合理とは言えないかもしれない。ところが、新株引受権付社債(以下、「ワラント債」という。)においては、これが単純な社債ではなくまさに新株引受権付であるがゆえに、この法的・経済的性格、あるいはその実際の機能からして、上告人のようにワラント債の取得資金を(ワラント債の利息よりも高利の)借入により調達することも経済的合理性・一般性があるのである。こうした行為の合理性は、借入金で株式投資をする場合と同様、ワラント債そのものの性質から導き出されるものであって、行為者の単なる主観的事情等による先の預金利子の例とは本質的に異なるのであり、このような場合においては「原資の維持に必要な部分」を観念する必要があると言わざるを得ないのである。

5 そこで、このようなワラント債も「公社債」であることに変わりなくその利息は利子所得となるとする原判決の立場が現行法の解釈として正当だととりあえず仮定すると、利子所得についてもまさに本件のように「原資の維持に必要な部分」を観念する必要があるにもかかわらず、現行所得税法はこの点をまったく無視していることになる。したがって、これはそもそも「所得」といえない部分まで「所得税」を課する結果となる税制であって、このような問題に憲法上の制約がないのかを検討する必要が生じてくる。

6 ところで、給与所得について実額の経費控除を認めていないことが憲法一四条に違反するか等が争われた、いわゆるサラリーマン税金訴訟に対する御庁の判決(昭六〇・三・二七)は、「給与所得についても必要経費の存在を観念し得る」が、給与所得控除には必要経費を概算的に控除する趣旨が含まれており、かつ給与所得者において自ら負担する必要経費の額が一般に給与所得控除の額を明らかに上回るものと認めることが困難であること等をもって右制度の合理性を認めているのである。ここで上告人が強調したいことは、右判決においては、必要経費の存在を観念し得る場合には、所得額を算定する際にこれをなんらかの形で控除する道が開かれていなければならないこと、すなわち前記の「原資の維持に要した部分を(必要経費等として)控除したものが所得である」とする考えが当然の前提になっている、という点である。そして、これを前提にして次のレベルの問題、すなわちその必要経費の把握の仕方に合理性があるか、という点を憲法上の論点として検討している点である。そうすると、右判決は、必要経費を観念し得る場合にこれを完全に無視するということは、憲法上問題があると解していると見るほかない。

7 それでは、右判決も右のとおり当然の前提にしていると思われる「原資の維持に必要な部分は所得とはいえず、したがってこの部分に所得税を課税しない」との原則が、憲法のいかなる規定から導かれるかという点である。そもそも、租税の賦課は本質的に私有財産を減少させる要因であり、ただその個々の課税規定が正当な立法目的及び手段にかかる合理性を有する場合には、財産権の侵害を構成しないだけのことである。したがって、このような合理性が存しなければ、それは必然的に個人の財産権の侵害として現われるものである。よって、所得と言えない部分に課税するという、税法の基本原則に反する税制は、税制としての合理性を欠き、国民の財産権を保障した憲法二九条に違反することとなることは明らかである。

8 さらに、所得と言えない部分に課税することは、当然のことながら他の所得区分との極端な差別的取扱を生じ、かつこれにもはや合理的な理由がないことは、以上に検討したところからも明白であるから、この観点から、法の下の平等を保障した憲法第一四条一項にも違反することが明らかである。

9 よって、利子所得にも原資の維持に必要な部分すなわち通常「必要経費」として観念する部分が存在するにもかかわらず、所得税法第二三条第二項は、「利子所得」の定義に関連する諸規定とあいまって、これらをまったく無視しこれらの控除を認めない税制を形成するもので、憲法第二九条及び第一四条一項に違反し無効であり、これを看過した原判決には右憲法違背がある。

1 さらに、右判決において、伊藤裁判官は、補足意見として「本件課税規定それ自体は憲法一四条一項の規定に違反するものではないが、本件課税規定に基づく具体的な課税処分が常に憲法の右規定に適合するとまではいえない。特定の給与所得者について、その給与所得に係る必要経費の額がその者の給与所得控除の額を著しく超過するという事情がみられる場合には、右給与所得者に対し本件課税規定を適用して右超過額を課税の対象とすることは、明らかに合理性を欠くものであり、本件課税規定は、かかる場合に、当該給与所得者に適用される限度において、憲法一四条一項の規定に違反するものといわざるを得ない(なお必要経費の額が給与所得控除の額を著しく超過するような場合には、当該所得が真に旧所得税法の予定する給与所得に当たるかどうかについて、慎重な検討を要することは、いうまでもない。)。」と述べられている。

2 本件においても、同様に、仮に本件課税規定それ自体が憲法に違反するとまで言えなくても、本件事例に対し本件課税規定を適用して借入金利息部分も課税の対象とすることは、合理性を欠くものであり、少なくとも、本件課税規定は、かかる場合に本件事例に適用される限度において、憲法二九条及び一四条一項の規定に違反するものであり、この点において、原判決には憲法違背がある。

第二 判決に影響を及ぼすことの明らかな法令の違背について

1 前記伊藤裁判官の意見中や、あるいは谷口裁判官の補足意見中には、限界事例においては、所得の各分類へのあてはめの問題、あるいは、そもそも所得が存在するといえるのかという問題について、課税規定の慎重かつ柔軟な解釈・適用がなされるべきことを示唆する部分がある。本件は、まさにこれと同様の視点が必要とされる事例である。

2 利子所得の元本の一般的性格は「貯蓄」であり、利子所得はその「果実」を列挙したものであるとされている。一方、ワラント債の投資対象としての特徴は、投資の安定性と投機性を兼ね備えた証券であるとの点に存するとされるが、ここに安定性とは、確定利付であることを指し、投機性とは、発行会社の株価の推移をみながら機をみて新株引受権を発行時の条件で行使することができ、したがって発行会社の株価が高騰したときは大きな利益を得ることができること、及びその反面このような新株引受権付与のいわば対価として社債の利率が通常の社債等よりも低いこと、を指す。こうした経済的機能は、目的が確定利息の取得のみに向けられる普通社債や預貯金とは著しく異なる。むしろ(特にいわゆる分離型のワラント債については)、利益配当のみならば他の投資対象よりも収益性において劣るが、大きな売買差益を得る可能性もある株式投資に類似するのである。それゆえに、ワラント債においては、融資を受けて投資をすることも十分にあり得るのである。

3 現行法上、利子所得と他の所得との最大の実際上の相違は経費等の控除の有無にあるのであるから、利子所得の範囲を考えるにあたっては、元本を取得するために資金の借入その他の経費を支出することでありうるものであるか、との観点を考慮すべきであり、普通社債と異なりその投機性のゆえにこうした経費の発生が通常あり得るワラント債の利息は、利子所得ではなく、しからざるときは、雑所得に分類されるべきである。よって、原判決は、所得税法二三条一項の解釈・適用を誤ったものである。

4 なお、商法のワラント債についての規定は、昭和五九年の改正によって導入されたものであり、そもそも所得税法の現行区分が確立した時点では存在せずまったく想定されていなかった制度である。したがって、ワラント債を他の所得に分類することは、所得税法の解釈としても不可能なものではない。

5 仮に、同法の文理上、右解釈が無理ならば、少なくとも、経費控除等の規定(所得税法二四条二項または三五条二項)を本件事例において「類推適用」すべきであり、この点においても、原判決は、所得税法の解釈・適用を誤ったものであり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかである。

1 上告人は、本件ワラント債取得資金全額をそっくり横浜銀行から借入れ(なお、借入額は右同額であり、すなわち他の目的で借りた部分はまったくない。)、当該ワラント債はその担保とされた。さらに、右引受資金はそのまま発行会社である株式会社エム・シー・エルの預金として同銀行に拘束された。ワラント債の利息と元本の償還金はそのまま上告人の同銀行への元利金の支払いにあてられ、さらに、上告人は、利息の差額分(〇・六パーセント)を自己負担して同銀行に返済したのである。同銀行の上告人に対する貸付金は単なる書類上・形式上の振替操作で動いた後結局同銀行に還流し、この間上告人の支配下にはなかった。

2 本件ワラント債の発行は、右株式会社エム・シー・エルの資金調達の一環であるが、上告人は、当時上場をめざしていた同社の経営者として、将来においてもその実質的支配権を維持するため一定の持株割合を確保する必要があり、もっぱら、そのための新株の有利な取得を目的として、あえて右差額分を自己負担して本件ワラント債を取得したものである。すなわち、上告人の目的は、分離型の本件ワラント債のうちの新株引受権の取得のみにあり右利息差額分はそのための対価と考えたのである。一方、本件ワラント債のうちの社債部分は、以上から明らかなように、実質的・経済的には同銀行が引き受けているに等しい(同銀行とエム・シー・エルとの間に消費貸借の関係があるのと変わらない。)。なお、上告人は、当時右差額分はともかく、社債元本部分を自己資金で調達する能力はなかった。

3 このような上告人の本件ワラント債引受の意図・動機・金の流れなどの事実関係を全体的に観察・評価すれば本件ワラント債の利息に関する限り上告人の取得はいわば名義上のものにすぎないことは明らかであり、そもそもこれについての所得(収入)があるとは言い難く、原判決は、そもそも課税すべき所得(収入)が存在しないのに、課税規定を適用しているのである。よって、これは所得税法二三条一項の解釈・適用を誤ったものと言うべく、これが判決に影響を及ぼすことも明らかである。

以上

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